2023年の「R-1グランプリ」で優勝した田津原理音さん、2025年も決勝進出で注目が集まっています。
田津原理音さんは幼少期の頃の遊びを元にR-1のネタが作られていました。
田津原理音さんの学歴をエピソードを交えながらご紹介していきます。
田津原理音について

田津原理音さんについてご紹介していきます。
- 本名:田津原理音(たづはらりおん)
- 生年月日:1993年05月25日
- 身長/体重:175cm /77kg
- 血液型:B型
- 出身地:奈良県 橿原市曽我町
- 趣味:写真撮影(デジタル一眼、フィルムカメラ)、写真鑑賞、古着屋巡り、DIY、ドライフラワー作り、人の幸せを願うこと
- 特技:写真撮影、ポスターデザイン、レタリング、イラスト、ペン回し
- 入社/入門:NSC35期
- 所属:吉本興業
お名前が珍しいのですがインタビューで本名だと語っています。
はい、本名です。
珍しい苗字らしいですが和歌山県の方に多いと聞いたことが有ります。
僕は奈良県出身なんですが、ご先祖様が和歌山に縁が有ったのかもしれませんね。


名前も理音(りおん)だから女の子だと勘違いされることもあったそうです。
田津原理音さんの学歴について紹介していきます。
【学歴】田津原理音の小学校・中学校


家族構成は両親と姉の4人家族のようです。
田津原理音さんの学歴について紹介していきます。
田津原理音の小学校


「小学校で少年野球を始めて、そこでめちゃくちゃいじめられてたんですよ。ずっとおちゃらけていたので、それで浮いてしまって『お前なんやねん、キモいねん』みたいな。僕が6年生の時に1年生に『うわっ、理音や』って言われた。1年生にまでとどろいてたんですよ、いじめられっ子として」 よろず~
田津原理音さんは自身で小学生の時はいじめられていたと語っています。
めちゃくちゃスベっていた。面白かった瞬間がない
小学生時代は野球をしながらも数少ないお友達と
毎日遊戯王カードで遊んでいたのが楽しかったと語っています。
カードと遊んでいることが楽しくいじめられてることに恨みや憎しみはなかったそうです。



この時のカード遊びが好きで
R-1のトレーディングカード開封ネタが誕生したのですね!
小学校の場所はここになります。


田津原理音の中学校
いじめっ子たちも同じ中学に進学しましたがある時を気にいじめっ子と仲良くなったことを語っています。
「変わらず野球部に入ったんですけど、手首を骨折してしまって。
ピッチングマシンにボールを入れる役割しかできなかった時に、(いじめっ子が)練習をサボりたいから『その役、俺もやるわ』
って2人でやってたんですよ。
そこでしゃべってたら『お前、おもろいな』
田津原理音さんはいじめっ子を恨んでいたことはなかったので、話すことで打ち解けて仲良くなっていきました。
最終的には生徒会長になった田津原理音さんでした。
ちなみに、会長選挙の応援演説はかつてのいじめっ子の一人だったそうです。
お笑いを目指すきっかけ
その時のことをインタビューで語っています。
「人を笑かす職業で泣いてるやんって。こんなに真剣にやってるんやっていうのをめっちゃ感じて」と回顧。気付けば母親に「俺、お笑い芸人になりたいかも」と打ち明けていた。
また田津原理音さんは、特にイラストが得意で中学2年生のころまでは漫画家を目指していた時期もあったそうです。
その才能を活かし、フリップ芸で使用するイラストを描くことでも評判でした。



田津原理音さんは才能豊かな方ですね!
幼少期の好きなだったものが仕事になるって素晴らしいです!
【学歴】田津原理音の高校・大学


在学中は硬式野球部に所属しており、応援団長を務めていたこともありますが、
野球のレギュラーには選ばれませんでした。


高校時代は野球に一生懸命で素敵な思い出が沢山ありそうですね!
田津原理音の大学
彼は2012年に高校を卒業し、本格的にお笑い芸人を目指すために吉本総合芸能学院(NSC)に入校。
この期には、有名な漫才師であるゆりやんレトリィバァと濱田祐太郎も同期として在籍していました。
NSC卒業後高校の同級生とのコンビ『ぬくもりディスカッション』を組み、
2015年に解散後はピン芸人となって『フリップ芸』で注目が集まっています。
田津原理音の意外な才能
田津原理音さんの趣味の一つにカメラがあります。
その出来栄えは、かなり素晴らしくプロのような写真です。


その時にバッテリィズ エースさんの野球のシーンを撮影していました。







いつかカメラを使ったネタやテレビでも活躍されていくことでしょう!
応援しています





