デヴィ夫人の夫のスカルノ大統領は合計9人の婦人がいたと言われています。
なぜそのように多くの夫人を持つことができたのか、どのような方と結婚していたのかまとめました。
スカルノ大統領について

スカルノ大統領について紹介します。
- 名前:スカルノ
- 誕生日:1901年6月6日
- 任期:1945年8月18日 – 1967年3月12日
- インドネシアジャカルタ
- ジャワ島東部の都市スラバヤ生まれ(オランダの植民地)
独立宣言後、同国の初代大統領となり、雄弁な演説とカリスマ性によって、大衆の民族意識を鼓舞した人物です。
父はジャワの下級貴族の出身で小学校教師
母はバリ人貴族の出身でヒンドゥー教徒。
スカルノの生い立ち
オランダによる過酷な植民地政策に対する反発を感じていたスカルノは、
大学卒業とともに、本格的にオランダに対する反植民地運動を開始しました。
「民族の指導者」として認められた存在でした。

スカルノ大統領の夫人は何人?
恋多き、スカルノ大統領の夫人は9人もいました。
一人づつ紹介していきます。
1人目の夫人:シティ・ウタリ

この10代の少女ウタリとの結婚生活は、結局実を結ぶことはありませんでした。
二人の関係は、夫婦というよりは兄妹のようなもので、スカルノ氏は最初の妻に一切手を出さず、
最終的に1923年に離婚しました。
2人目の夫人:インギット・ガルナシ

2人目の婦人は12歳年上だったが、当時20歳だったスカルノ氏はインギットの美しさに魅了されました。
当時二人は既に結婚していたがお互いに離婚した後、1923年に結婚。
インギットさんはスカルノ氏がバンドンで投獄され、フローレス島に流刑され、
さらにベンクルに流刑された時も含め、独立運動の困難を共に過ごしました。
二人の間には養子が2人いました。
3人目の夫人:ファトマワティ

スカルノ氏は二番目の妻インギットと養子2人と共にスマトラ島に住んでいました。
16歳の娘ファトマワティに恋をして結婚を申し込むも双方からポリガミーに反対されました。
2番目の妻インギットと別れて、ファトマワティが20歳になって結婚します。
4人目の夫人:ハルティニ

スカルノは当時3番目の妻ファトマワティがいるが、5人の子どもを持つハルティニに恋をし、
1953年にプロポーズしました。
スカルノはファトマワティにハルティニとの結婚の許可を求め同意しました。
ハルティニはスカルノが亡くなるまで結婚生活を送り
タウファン・スカルノプトラという息子をもうけました。
5番目の夫人:カルティニ・マノッポ

元ガルーダ航空の客室乗務員で画家バスキ・アブドゥラの絵画を見てスカルノが一目惚れし、結婚。

スカルノ氏は一目ぼれが多いですね
6番目の夫人:ラトナ・サリ・デウィ


ここからはシンデレラ婚とも言われたデウィ夫人について紹介します。
スカルノ(59歳)とデウィ(19歳)の馴れ初めは、1959年銀座のクラブでの出会いから始まり、
スカルノは手紙、詩、贈り物(花や宝石)などを送り熱烈な求愛でした。
高級クラブでは「プリンセス」と呼ばれていた


スカルノ氏には4人の正妻がいて、その中の第3夫人がデヴィ夫人だったそうです。
しかし、数年後に大統領が亡くなると、彼女は国外に亡命し、フランス、スイス、アメリカを経て、日本に帰国しました。
当時、日本では「銀座のホステスが大統領夫人」と驚きと好意的な報道がされたそうです。





デウィ夫人は戦後の貧しい家庭で育ち、
銀座で働きながらモデル経験もされていたそうです
22歳のとき、母と弟を一度に亡くし、全身全霊で大統領に尽くすため、インドネシア国籍を取得。
ラトナ・サリ・デヴィ・スカルノという名前を、大統領がつけてくれたそうです。
私には大統領夫人という地位、財力、若さ、美しさがあり、肌の美しさとただ一人の東洋人であったことで「東洋の真珠」と呼ばれて引っ張りだこでした。 wendy-net
7番目の夫人:ユリケ・サンガー


老年のスカルノ氏には、デウィ夫人のほかにさらに二人の新しい妻がいたそうです。
カルノの失脚に伴い、1968年離婚。
8番目の夫人:ハルジャティ


しかし、3年後に離婚しました。
9番目の夫人
他にもカリニ・マノッポとエディ・ジュファルとの結婚もあったそうですが詳しい詳細はありませんでした。
結婚を沢山していて、スカルノ氏も老齢になってからすべてを覚えていたのかは不明です。
記録のばらつき: 一部資料で「7人」や「8人」であったり、最近では9人だったのではと言われています。
スカルノ大統領の夫人は合計9人
- ウタリ・離婚
- インギット・・離婚
- ファトマワティ・・第一夫人
- ハルティニ・・第二夫人
- カルティニ・・離婚
- デウィ・・第三夫人
- ユリケ・・離婚
- ヘルディ・・離婚
- アメリア


スカルノ大統領は恋多き大統領だったことがわかりますね。

